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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)3976号 判決

原告

稲垣正夫

被告

昭和運送株式会社

外一名

主文

被告らは各自原告に対し金九十一万八百六十九円及びこれに対する昭和三十一年十二月十一日以降右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り、原告において金十五万円の担保を供するときは仮りにこれを執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは原告に対し連帯して金三百九十万四百二十一円及びこれに対する昭和三十一年十二月十一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、原告は昭和二十七年十一月訴外佐々木商事株式会社に入社し以来同社所有の自家用自動二輪車(に〇五九二号)(以下原告二輪車という)を運転しているものであり、被告昭和運送株式会社(以下被告会社という)は肩書地に本店をおいて車輛約三十台を所有し主として訴外大昭和製紙株式会社の製品等を運搬し、東京吉原間を主たる走路としているものであり、被告曾根田(以下被告という)は昭和二十八年十一月十三日静岡県公安委員会から普通自動車運転免許を受け、同三十年六月以降自動車運転手として被告会社に勤務しているものである。

二、原告は、同三十一年十二月十一日午後零時五十分頃、東京都中央区日本橋本町二丁目一番地先道路(いわゆる昭和通り)を新橋方面より上野方面に向い原告二輪車を運転進行中、右同番地富士紡績ビル前に差し掛つた際、同ビル前(東方)に設置してある信号機が赤色を標示していたので一旦停車して青色の進行信号を待機していた。

三、右道路は全幅員四十四・二米のアスフアルト舗装道路で、中央には幅員十一米の中央緑地帯(中央式駐車場)があり、その両側が幅員十・六米宛のアスフアルト舗装車道となつていて、交通量は極めて多く、約二十米両側の交叉点にある前記信号の合間以外には車道横断は出来ない状況にあつた。

四、原告は青色の標識が出ると待機中の他の自動車と一斉に発進して右交叉点より約五十米のところを時速約三十粁で進行していた。一方被告は右側緑地帯にある中央駐車場に、当日運転していた被告会社所有の静岡第一ー六九二五号ふそう号五十三年型右ハンドル事業用普通貨物自動車(以下被告自動車という)を駐車させ、右折のうえ、上野方面に発進する機会を待つていた。

被告自動車がこのように駐車場より車道に向い発進する場合は自動車運転者たる被告としては前方及び左右を注視して進行中の車等に接触衝突しないように注意すべきであつて、特に被告自動車は操縦席が右側にあり、かつ被告自動車の左側には当時駐車中の荷車と街路樹とがあつて視界が遮断制限され、左方に対する展望は非常に悪いうえ、その駐車地点より左方三十米の点が前記信号機を備えた交叉点になつているのであるから、特に左方よりの直進車の存在には充分注意し、右信号が青となつた直後は左方からの直進車が多数通過することが予想されるから、その間は車道への発進を差し控えるべきであるにかかわらず、被告は以上の注意義務を怠り、前記信号が青になつたばかりだつたので充分中央駐車場より車道へ出られるものと軽信し被告自動車の発進を開始した。

しかして丁度右地点を通過しようとしていた原告は、突然被告自動車が発進して来たのに驚き急ぎ原告二輪車のハンドルを左へ切つてこれを避けようとしたが果さず、被告自動車の左前部バンバー、フエンダー中間の凹んだ部分に衝突し原告は左前方十三・七米の地点に飛ばされて転倒し、右下腿骨開放骨折の重傷を負うに至つた。

五、右事故の結果原告の蒙つた損害は左のとおりである。

(一)  財産的損害

(1) 積極的損害 金三十八万四千八百六十九円

内訳

(イ) 金十二万五千九百二十円

但し昭和三十一年十二月十一日以降、翌三十二年一月三十一日までの日本橋外科における入院費治療費等一切

(ロ) 金十八万五千九百八十四円

但し同三十二年一月三十一日以降同年九月七日までの東京厚生年金病院における入院費治療費等一切

(ハ) 金六万九千二百六十五円

但し同三十二年十一月六日(再入院)以降翌三十三年二月二日までの前記病院における入院費治療費等一切

(ニ) 金三千七百円

但し右脚切断による義足代

(2)消極的損害 金二百九十万九千八百五十五円

原告は昭和二十七年十一月訴外佐々木商事株式会社に入社し、傷害発生当時毎月金一万三百円の賃金の支払を受けていたが、右傷害により自動車運転は勿論のこと労働に堪えることも出来なくなり、右賃金をうけることが出来なくなつた。原告は昭和十年十月一日生れであつて、同二十九年七月厚生省発表の生命表によれば、余命年数は四六・二〇歳であつて、若し右傷害がなかつたとすれば、その間右賃金を当然得ることが出来たはずであり、これを一時に請求するとすれば、ホフマン式計算により金二百九十万九千八百五十五円となる。

(二)  精神的損害

原告は未だ独身の男子であるが、本件傷害により右脚リスフラン氏関節より切断術を施され、これがため自動車運転能力はいうに及ばず、労働力は甚だしく減退するに至つたのみならず、なお春秋に富む身で不具となつたものであつて、将来の独立して生業を選定し或いは、独立して家庭生活を営むに当つての精神的苦痛はとうてい常人の想像しうるところではない。その精神的苦痛は金八十万円に評価するのが相当である。

以上(一)(二)の合計は金四百九万四千七百二十四円となる。

六、右の損害は第四項に記載したとおり被告の不法行為に基くものであり、しかも、本件事故は被告が被告会社の事業の執行中に惹起したものに外ならないから、被告らは連帯して原告に対し右損害金のうち金三百九十万四百二十一円及びこれに対する不法行為の日である昭和三十一年十二月十一日より右完済に至るまで年五分の割合による損害金を支払うべき義務がある。

と述べ、被告らの主張事実を全部否認した。(立証省略)

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として「被告会社の営業内容及び被告が被告会社に雇傭されていること、事故現場の道路はアスフアルト道路で中央に緑地帯があり交通量の多いこと、原告が時速約三十粁で進行していたこと、被告自動車が右側に操縦席を有すること原告運転の車(自動二輪車ではなく軽自動二輪車である)が被告自動車のバンパーに衝突したため転倒し、原告がそのために右下腿に傷を負つたこと、被告が被告会社の事業の執行中であつたことはそれぞれ認めるが、その余の事実は否認する。」

被告らの主張として

一、本件事故は被告の過失に基くものでなく原告の過失に基くものである。すなわち被告は、運転台の後にある窓を通して、上野より新橋に向つて進行する車のために設置された信号機(日本橋一丁目に設置されているもの)を見て、同信号が赤色であり、かつ左方を見たところ、上野方面行きの諸車が発車していないのを確認したうえ、車道に向けて発進し、被告自動車の車輪が緑地帯に出た瞬間同乗していた助手の訴外平柳和一が「ストツプ」と声をかけたので、被告は即時ブレーキを踏み停車して、被告自動車を後退させようとした。しかしながら、原告は日通トラツクを追越そうとして歩道寄りが三分の二以上も空いているにもかかわらず、しかも本件事故現場では公安委員会制定の東京都道路取締規則第四条一項二号により最高時速を三十二粁と規定され(現場には速度区分の標示があり、路面には区画線がある)、高速車路線(現場では時速四十粁、緑地帯寄り区画線内の路上)を走ることは許されていないのに、突然右日通トラツクの右側、緑地帯寄り高速車路線上を時速三十粁で進行して来て、停車していた被告自動車を発見しながら停車もせず、また制動操作もせず、追越のために速力を出していたためにハンドルの操作が十分に出来ず、被告自動車のバンパーに衝突したものである。

もしこの場合、原告が通行区分を遵守して進行していたならば本件事故は起きなかつたはずであり、仮りに右注意義務に違反していてもなお被告自動車を発見して直ちに制動操作をしたならば、衝突を避け得たはずである。

要するに被告には運転者として過失なく本件事故は以上のごとき原告の過失に基くものである。

二、仮に被告に何らかの過失があつたとしても、被告会社は被告を昭和三十一年十一月一日入社させるに際し、面接のうえ充分に本人の言動に注意し、かつ同人が同二十八年十一月十三日に普通自動車の運転免許証をとつており、事故なく過して来たことを確認して採用したもので、同人は事故の発生する当日まで被告会社の運送業務にたずさわり、一度も事故はもちろん運転違反も起したことがない優秀な運転者であり、また被告会社は従業員たる運転者には常日頃自動車運転についての注意をうながし、自動車の整備は自社の修理工場で充分整備してこれに乗車させ、東京方面に出発する際は運転の注意を与え、また運転違反などを知つた時は全運転者に訓示を与えて来たので、その選任監督には何ら過失がない。

三、仮に被告に何らかの過失があつたとしても、本件事故は前記一記載のとおり原告が通行区分に違反しかつ適切な操縦をしなかつた過失に基くものであるから、被告らは損害額の算定について過失相殺を主張する。

と陳述した。(立証省略)

理由

一、被告会社が東京吉原間を主たる走路とし、主として訴外大昭和製紙株式会社の製品等を運搬する運送会社であり、被告が自動車運転手として、被告会社に勤務するものであること、被告の運転する被告会社所有の普通貨物自動車のバンパーに、時速約三十粁で進行して来た原告の運転する二輪車が衝突したため、原告は転倒しその結果右下腿に負傷したことは、いずれも当事者間に争いがない。証人田中実の証言及び原告本人尋問の結果並びに検証の結果に、記録上原本の存在が認められ、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第十一号証を加えて考察すれば、次の事実が認められる。「原告は昭和三十一年十二月十一日午前十一時三十分頃、其使用者訴外佐々木商事株式会社所有の自動二輪車に〇五九二号(成立に争いのない乙第一号証に、軽自動二輪車とあるが措信できない)(本件現場における制限時速は四十粁で通路区分は緑地帯寄り高速車路線である。)に乗り東京都中央区日本橋本町二丁目一番地先道路(全幅員四十四、二米、中央には幅員十一米の中央式駐車場が設けられた中央緑地帯があり、その両側にそれぞれ幅員十、六米のアスフアルト舗装車道があり、本件現場は右のうち上野方面に向う車道上にある)を、新橋方面より上野方面に向つて進行し、右同番地富士紡績ビル前交叉点に来たところ、同ビル前(東方)に設置してある信号機が赤色になつたので、横断歩道(停止線)に接着し、右側緑地帯寄り高速車路線内に一旦停車のうえ信号を待ち、青色の標識が出ると他の自動車と一斉に発進し、同地点より約四十米のところまで時速約三十粁で高速車路線内を進行したこと、右附近車道は交通量が極めて多く、前記信号機が停止信号(赤)を示す約三十秒間は車道横断ができるが、右信号が青の間は車輛の進行が絶え間ない状況にあつたが、右側緑地帯にある中央駐車場に貨物自動車を駐車させていた被告は同所から発進すべく左方約三十米のところにある前記交叉点を見たところ、駐車位置からは、その左側にあつた荷車や街路樹に妨げられて見とおしは悪かつたが、右交叉点で進号待ちをしていた自動車がようやく発進したばかりであるので、充分右駐車場から出られるものと思つて発進を始め、前車輪が車道に下りたとき、丁度右地点を通過しようとして接近して来た前記原告の自動二輪車を発見し、急ブレーキをかけて停車し、一方原告は約十米手前で被告自動車が発進を始めたのを認め、直ちに減速するとともにできるかぎりハンドルを左へ切りこれを避けようとしたが間に合わず、被告自動車の前部左側バンパーに衝突し左前方十三、七米のところにはね飛ばされて転倒し、右下腿骨開放骨折の傷害を負つた。」証人的岡馨の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠と対比して措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

二、右認定事実に徴すれば、前記道路状況の下で、駐車場より車道に自動車を発進させる運転者としては、信号機が停止信号を示し、車道に直進車がない時に発進すべきであり、仮に右以外の時に発進する場合は、特に警音器を吹鳴するなどして自己の車の発進を他車に警告するとともに、自己の車と直進車との距離、直進車の速度及び通行区分などを十分に考慮して安全を確認したうえで発進すべき注意義務があるものというべく、被告は右注意義務に違反し、信号が青となつて待機中の車輛が進行を始めたのを認めながら、漫然と被告自動車を発進させた結果本件事故を惹起するに至つたものである以上、右事故は被告の過失に基因するものといわねばならない。よつて同被告は右不法行為により原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

三、次に、被告会社の責任について判断するに、原告は被告会社に対しては、民法第七百十五条により被告の使用者としての責任を問うているのであるが、この点に関し、自動車損害賠償保障法は、自動車の運行によつて人の生命又は身体が害された場合における被害者保護の観点より、同法第三条に民法に対する特別規定を設けているのであるから、特別法として同法を優先適用すべく、しかして被告会社が本件事故発生に際し自己のため被告自動車を運行の用に供するものなることその主張自体より明らかであり、すでに認定したとおり、本件事故は被告の過失により惹起されたものである以上、被告会社は原告が右事故により蒙つた損害を賠償すべき義務がある。しかして、被告らの右損害賠償債務は不真正連帯債務の関係に立つものといわねばならない。

四、(一) そこで損害額について考察するに、まず積極的損害として原告の主張する(イ)ないし(ハ)の入院費治療費等の一切及び(ニ)の義足代合計三十八万四千八百六十九円を原告が支出したことは、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第四号証の一ないし五の各イ、ロ第五号証の一ないし五第六号証第七号証の一ないし四の各イ、ロ同号証の五ないし二十同号証の二十一の各イ、ロ、ハ同号証の二十二ないし二十八同号証の二十九のイロを綜合してこれを認めることができ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。よつて、被告らは右三十八万四千八百六十九円について賠償義務がある。

(二) 次に消極的損害額について判断するに、証人稲垣栄吉の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二十八年頃訴外佐々木商事株式会社に入社し、セールス兼配達の仕事をし本件事故発生当時毎月約一万円の賃金を得ていたところ、右事故により同三十一年十二月十一日より同三十三年二月二十八日まで欠勤し、事故後六ケ月間は賃金全額を支給されたが、以後はその六割を支給されたこと、同三十三年三月一日出勤後は内勤として受注発注整理の仕事をし現在月額一万七千円を支給されており、特段の事情のない限り将来も少くとも同等の収入が得られることが認められる。そうすると、同三十二年六月分より同三十三年二月分までの減給分合計三万六千円は、原告の得べかりし利益の喪失ということができるが、同三十三年三月分以降の賠償請求の点については、原告が現在事故当時を上廻る収入を得ており,右特段の事情について立証がない以上、これを請求することはできないものといわねばならない。従つて消極的損害は右三万六千円となる。

(三) 最後に、慰藉料の点について考えるに、証人稲垣栄吉の証言及び原告本人尋問の結果並びに右尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三号証の一、二を綜合すれば、原告は本件事故後直ちに日本橋外科病院に入院し、昭和三十一年十二月二十八日骨折部観血的手術を受け、同三十二年一月二十五日右足リスフラン関節より切断術を施行され、同月三十一日より東京厚生年金病院に入院し骨折部の再手術を行い、同年九月七日一旦退院したが経過がおもわしくないため同年十一月六日より翌三十三年二月二日まで右病院に再入院して種々の治療を受けたこと、現在に至つても、寒さの折には寝ていても痛みを覚え、従来はかなりスポーツをしていたが事故後は一切できなくなり、ラツシユ時の通勤には相当の苦痛を感ずること、現在二十五才の独身男子であるが、本件事故による身体障害は結婚の障碍になるものと思われること、しかし勤務先の特別のはからいにより事故後は内勤の仕事を与えられ、一通り仕事もできるようになつたので、将来の見通しは必ずしも悲観的でないこと、一方被告会社からは事故後一度見舞に来ただけであることが認められ、これらの事情及びその他諸般の事情を彼此勘案すると、慰藉料の額は五十万円と算定するのが相当と認められる。

(四) そこで、被告らの過失相殺の主張について判断するに、前記認定のとおり、原告は本件事故発生当時所定の高速車路線を制限時速内の速度で進行していたのであるからこの点に関しては何ら法規違反はなく、また被告自動車の発進を認めると直ちに速度を減じハンドルをできるかぎり左へ切つて衝突を避けるための措置を講じており、他に原告に過失があつたことを認むべき証拠はないから、被告らの右主張は採用できない。

五、よつて、原告の本訴請求は、財産的損害のうち積極的損害についてその請求にかかる金三十八万四千八百六十九円、同消極的損害について前記認定にかかる金三万六千円、慰藉料について前記認定にかかる金五十万円合計九十一万八百六十九円及びこれに対する不法行為の日である昭和三十一年十二月十一日以降支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においてこれを正当として認容すべきであるが、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条第九十三条第一項、仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 池野仁二 田辺博介 土屋重雄)

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